おっすおっす。
misopotaです。
ようやく…ようやくSound Horizonの新作「絵馬に願ひを!」のFull Editionを手に入れました!何十回も地平線を経て、様々な素敵な楽曲と出会えたのはとても良きです。
さて今作で一番気になっているのが、須久奈月人(すくなつきひと:以下、月人)という人物。
プロローグの段階から「サイコパス―ツ」とかいろいろ言われている彼ですが、FullEditionでは結構掘り下げられているなという感じです。
今回はそんな月人について考察や、自分なりの解釈をこのブログに書いていきます。
なお、今回の記事ですが、曲を巡回していますが結構うろ覚えな部分があったり、よくよく聞いてみたら違くね?という部分があったりするかもしれません。
その辺はお許しください。
あとシンプルにBlu-rayのネタバレが含まれているのでご注意ください。
ではレッツゴー。
須久奈月人とは何者なのか
まずは月人についての簡単な人物像を。
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ジャケット一番左側にいる眼鏡とスーツを着た青年
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バットをよく振っている
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狂気的な発言と笑い声が特徴的
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人を愛する意味が分からないらしい
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すくなキャットクリニック(=西風のように駆け抜けろ!に出てくる病院)の医師である須久奈鷹彦とは遠い親戚関係にあるらしい
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幼少期はあまり人と関わらない、不思議な少年だったとのこと(手水舎の記憶より)
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須久奈姓は母親の旧姓
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しょせん父親と同じみたいなことを刑事に言われた=父親も過去に警察にお世話になった?(≪祝い酒に隠し味を足してあげる理解者?≫な男)
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姫子(佐久夜の方)の小学校時代の担任だったが、彼女に執着し、中学校・高校の教員資格を得てまで追いかけてくる
今のところ分かっているだけでもこんな感じです。
楽曲を通して聞くと…うん、全体的にやばいやつです。
ただ何となくだけど、無意識に愛を求めている感じがする…なんとも不思議なキャラクターといえます。
須久奈月人に対する個人的解釈
さてここから月人に対する個人的な解釈を3つほど書いていきます。
結構ガバガバですが許してください。
①猫虐待少年と写真撮影する男子学生は違う地平線の人物説
「生きているのは僕だけなんだろう?」に登場する猫虐待少年(ジャケット左、バットを持った少年)と、Blu-ray版で低確率に出現する「生と死の遊戯盤」に出てくる男子学生(月人と前述の少年の間にいる子)が、月人の幼少時代なのでは?という解釈が結構多かったです。
というか私もBlu-rayを購入するまでそう思っていました。
が、色々とめぐっていくうちにだんだん「実はこの二人と月人って別人…というか別の地平線の月人なのでは?」という考えも浮かんできました。
そう至った考えは次の通りです。
- 手水舎の記憶で「燃やせ…燃やせ」という謎の声に導かれ、何かを燃やそうと決意する(「13文字の伝言」で「孝行息子と評判の少年が火災を起こした」とあったので、猫虐待少年=彼女の息子説が個人的にあり)
- 男子学生の方は鹿島タケルや杵瀬命といった人物と同級生である(彼ら二人は姫子の楽曲でも同じ学年の少年として出てくるので、月人の学生時代とは考えにくい)
まず猫虐待少年(=生きているのは僕だけなんだろう?)の別人説について。
「バットを持っている」「虐待を受けていることが示唆されている」という点が共通しているので、同一人物かと思われていましたが、手水舎の記憶で新たに追加された語りを聞いたかぎり別人ではないのかなと感じました。
猫を虐待するという点ではプロローグの楽曲と一致していますが、フルの方ではとある「声」が聞こえたという語りがあります。
いわく「燃やせ、燃やせ」と。
ここで別の楽曲に飛びますが、伊坂那美が主人公の「13文字の伝言」という楽曲があります。
主な内容としては、教育熱心(というかほぼ虐待に近しい)な夫と過保護な母に育てられた少年が、やがて放火魔となり、両親は悲劇的な結末をたどるという内容です。
私はこの教育熱心な父親から虐待に近い行為を受けていた少年=「生きているのは僕だけなんだろう?」および「手水舎の記憶で語る少年」ではないかなと考えています。
のちほど解説しますが、月人が「地平線を乗り越える力」を使って少年をそそのかし、放火魔にしたのではないかな?と。
…が、この辺は自分でもこじつけ感がすごいので、絶対とは限りませんが…。
そして2番目の「生と死の遊戯盤」に出てくる男子中学生も別人かと。これも「手水舎の記憶」の語り(CV:梶裕貴)から月人ではないかなと思います。
まず男子中学生の語りでは「鹿島タケル」および「杵瀬命」という人物名が出てきます。彼の話では、二人とも同級生だそうです。
しかし「私の生まれた地平線」や「私が見つけた地平線」では小学校教師となった月人が「きせ」と呼んだり、姫子の同級生が「鹿島の家が~」と語る場面があります。
これではつじつまが合わないなと思ったので、男子中学生も月人とは似て非なる別人かなと解釈しました。
が、この解釈も「月が廻る夜」という楽曲で「鹿島と杵瀬は同級生である」という旨の発言を月人がしていた(気もする)ので、あまり自信がないですね。
個人的には「違う地平線にいる、それぞれの年代の月人」がしっくりくるかなと思いました。
②自分と似た境遇の人物に執着している(特に佐久夜姫子の方)
さまざまな楽曲を聞いて分かったことが、月人は自分と似た境遇の人物に執着している点です。
特に佐久夜姫子に対しては異常なまでの執着を見せています。
逆に岩長姫子(以下:いわながちゃん)の方にはあまり執着を見せません。この二人の違いは何か、それは「誰かに愛されているかどうか」「誰かに対して好意を抱くか」という点です。
すごい曲解ですが、月人との共通点も合わせて表にしてみました。
姫子と月人は親に愛された記憶がない、誰かを好きになる・愛するという意味が分からないという点で一致しています。
逆にいわながちゃんは肉親に愛されている、誰かを好きになったことがある(私の見つけた地平線、恋は岩をも動かして)という違いがあるため、月人にとっては執着に値する人物ではないのだろうと考えています。
事実、「恋は岩をも動かして」で「君はもう僕の生徒じゃない」的なことを言っていましたからね。
③地平線を乗り越える力がある?
そして最後に突飛な解釈ですが、彼には地平線を乗り越える力があるのではないかなと思います。
「月が廻る夜」にて、地平のはざまに落とされたという旨の文字が出てきました。
ここで地平線を乗り越える力を経て、さまざまな楽曲や登場人物に干渉しているのではないかなと。
今日視聴した楽曲(手水舎の記憶、タイトル名は不明)では、狂気的な笑い声と共にこういったセリフを言っていました。
「狼欒神社や狼欒大社に参拝しにくる奴らを消していけばいい」と。
「絵馬に願ひを!」では登場人物が低確率で死亡するルートがあります。
どの地平線でその考えに至ったかは不明ですが、少なくとも狼欒神社(もしくは狼欒大社)に参拝する登場人物たちを消すことで何らかの目的を達成したいのではないかなと個人的に考えています。
月人の目的:姫子を狼欒神社から解放したい説
では仮に地平線を超えてまで月人は何がしたいのか。
個人的な解釈としては、姫子を狼欒神社から解放したいのではないかなと思っています。
佐久夜の方の姫子は、神社関係者から改変を受け、狼欒神社の巫女としてさまざまな人の願いの行く先を決めていきます。
その選択(大神=リスナーによるが)の行く先を見て、姫子は自分の人生を見つめなおし、内面も変化していきます。
しかし月人にとっては、それは面白くないのではないでしょうか。
姫子は自分と似た境遇を持つ=愛が分からない・孤独な人物であるはずなのに、狼欒神社の影響によってその人物像が崩れてしまうのが嫌だから、参拝者を殺して狼欒神社の存在意義をなくし、巫女の役目から姫子を解放しようとしているのではないかなと思っています。
実際、月人は姫子が関わる楽曲でたびたび行動をとってきます。
ここまでくるとほぼストーカーですね。普通に怖い。
あとはすごく単純ですが「愉快に生きたいから」説。
先に解説した(別の地平線と仮定した)猫虐待少年や男子中学生をそそのかしたり、さまざまな登場人物の世界をひっちゃかめっちゃかにしたりとやりたい放題です。
「月と廻る夜」まであまりいい思いをしていなかった(親から虐待を受ける、愛を知らずに育って人の愛し方や接し方が分からないなど…)ので、そのうっぷん晴らしで地平線を超えて自由にやっているのかなと思います。
まあ個人的にはこっちの説の方がしっくりくるかなという感じです。
まとめ
色々とまとめているうちに結構長くなってしまいましたね。
こんな感じで、ひとまず購入から3日間さまざまな楽曲を追体験した考察を書いていきました。
自分で書いていていうのもなんですが、かなり矛盾だらけかなと思います。なので読みづらかったら申し訳ないです。
あと解釈は人それぞれなので、怒らないでください(泣)
「手水舎の記憶」の月人バージョンはかなり低確率なので、何度も何度もめぐってまた見直してみたいと思います。
また新しいことや、「こうなんじゃないかな?」という解釈があればこのブログで更新していきたいなと思います。
ではまた次のブログでお会いしましょう。